アフリカの音楽がヒントになったカラフルなAJ7【エアジョーダン秘史(7)】
1985年の1stモデルから今なお続くレジェンドバッシュのヒストリー。
第7回は、1992年発売の「AIR JORDAN 7」。
AJ7は基本的なフレーム構造をAJ6から引き継いでいるが、インナーには新たにフィットシステム「ハラチ」を採用。さらに、すべてのモデルにナンバリングが入り、アッパーからナイキロゴが消えるなど、シリーズが新たなステージに入ったことを示している。
ドリームチームでの活躍により
ついにAJ人気は全世界へと拡大
CFの共演者はスパイクからバニーへ
AJ7のデザインに取りかかる頃、ティンカー・ハットフィールドは街でコンポラリー・アフリカ音楽のポスターを見かける。そして、そこから受けたインスピレーションをもとに、カラフルなソールパターンが誕生することになった。このアウトソールと同じように、タンもアフリカ的なイメージの色彩で仕上げられている。
テクノロジーの面では、当時ナイキがフィッティングシステムとして開発したばかりの「ハラチフィット」を採用。シューズにライクラ素材のインナーブーツを入れることで、抜群のフィット感と足入れ性を実現した。また、従来のクリアソールとビジブルエアを廃止することで、シューズ全体がより戦闘的なイメージとなっている。
このシューズのプロモーションは、ワーナーブラザーズとのコラボレーションで行われ、MJ(マイケル・ジョーダン)はアニメーションのバックス・バニーと共演。コラボアイテムも発売されたが、MJの「AIR JORDAN」に対して、バニーは「HARE(野うさぎ)JORDAN」というニックネームでTシャツやスタジャンなどに登場している(上図参照)。
’92年、日本ではバッシュを中心にしたスニーカーブームが巻き起こるが、人気の面でその頂点に立っていたのは、もちろんAJ7だった。さらに、このAJ7のオリンピックモデルを履いてMJがバルセロナ五輪に出場したことで、AIR JORDANの名は世界規模で知られるようになり、その人気もピークに達した。
- 1
- 2